日々の畑

野を食む

野を食む

頂き物の日々

 

 

今日は上の子を5時半に駅に送ったその足で畑に向かう。

取り敢えず、草で覆われた方の畑で1時間草刈りを行い、その後食卓用の畑へと向い、ゴボウの種を播く

 

畑の向こうに、霞む様な高い海を見ながら畝沿いに畑を歩く。

先週から拾い集めた枯草は、そのほとんどを畑に播き、今は畑を覆う生き物のベッドの様なものになっている。

その枯草が今僕の足の裏を柔らかく押し返してくる。

今僕は7日前に撒いた大根と人参、そして五日前に撒いたネギの畝を順に見て回っている。

丁度畑の中程にある畝が大根で、今目の前で茶色い枯草の間から蒼い双葉を覗かせ、蛇行しながら列をなしている。

瑞々しい艶のある青葉が朝露に濡れて芽にも麗しい。

僕は数秒眺めたのち次の畝へと向かう。

今度は少し下がって、道路際の人参とネギの畝だ。

ここはまだ畝が新しく、どうかな?――とは思ったが、それぞれの畝で青葉は松葉を搔き分け伸び始めていた。線香花火のようなニンジンの葉と針が胡麻を刺した様なねぎの若芽は、本当に元気で、同じ丈の雑草に混じって、競争するように伸びていた。

             

 

 

嫁さんが早く起きてきたので、下の娘を任せて畑に出てる。

昨日、見回りで茄子の種を撒いた畝の事を忘れていたので、まずそこに向かう。

パラパラと芽が出ていることを確認。

次に軽トラに載せたトウモロコシとカボチャの苗を海側の畝に運び植える。

そして、嫁さんからのコ―ルがかかる前に畑から撤収。

今日は上の息子のボ―トの大会を見に行く予定なので、早々に帰宅する。

 

苗植えの際に沢山のモグラの穴を発見。外気温も30度を超える日が出始めたので、表層で活動するミミズが増え始めたのかも。でもモグラが食べるのは太ミミズだったような……

 

 

 

 

出勤途中、未練がましく畑による。

今日は山がハッキリと見える。一日良い天気になるのかも。

 

 

本日、瓜の第二陣を播く。これで下の娘の瓜コ―ル対策はオッケイのはずだ。

 

 

 

早朝の畑に出るというのは、その日の朝芽吹いた新芽に出会えるという事で、落ち葉の下にその身を潜める小さな新芽を見つけるのは本当に嬉しく、屈んだままの姿で畝を眺め続ける事も、既に日々の習慣になっています。

今朝は、背後の山も深い藍色に浮かび上がり、山の息を思わせる霞がその輪郭をあいまいにし、山を淡色の絵のように書き上げています。

目の前に敷き詰められた落ち葉は佇まいも静かで、その落ち葉を手で除く音も耳に優しく、その下に隠れる新芽の命を刈り取らないよう、ゆっくりと動かしていきます。

それは僕の日々の楽しみの一つでもあり、義務でもあるのです。

 

 

 

朝早くに起きる事は苦痛では無いのですが、最近困ったことが一つ起こり始めました。

それは下の娘が私と同じような時間に起きてくるようになったのです。

確かに、娘は夜寝るのも早く8:30分には寝てしまうのですが、いくら何でも朝早4;30分は早くないでしょうか?

せめて嫁さんと同じような時間に起きてくれれば、畑にも早く出れるのですが。

 

さすがに朝7時にもなれば、畑も昼の顔で私を迎える訳ですが、それでも朝露がガラス玉のようにカボチャの葉の上に乗る姿や、空と海の境界が曖昧なまま視界の外まで広がる水平線を見るのは楽しく、一日分の元気を貰うような気持ちです。

もっとも、そろそろ一雨は欲しいのですが。

 

本日、3回目の金貨瓜を数株植える。モグラの穴が増殖中。

 

 

基本的にですが、我が家では畑に水をやりません。

基本的にといったのは、種及び若芽の状態で日照りが続きすぎる場合などは、播く事もあるという事です。ですが、それも稀な事で基本播くことはありません。

その代わり、落ち葉や枯れ草を遮光に利用する事はあります。

(今だ、雑草とのバランスが分からない為、今後は基本構造のみ人の手の入った雑草畑も作って行こうかと思っています)

ですから、あまり長く日照りが続く夕方などに畑に行くと、へたったキャベツなどがみうけられるのですが、面白いことに翌朝早くに畑に行くとしゃんと背筋を伸ばした姿に戻っているのです。やはり朝露って偉大ですね。

 

30℃を越す連日の猛暑の中、今朝畑では山東菜が芽を出していました。

カサカサに乾燥した表土の上に松葉をかき分けるように、目を出した山東菜は、まだ僅かに黄色く、双葉の上には茶色い種の皮の帽子が載っていました。

本当にただ播くだけの俺からしてみれば、本当に頭が下がる思いです

 

昨日は大風が吹きました。

トウモロコシは斜め45度に傾き、キャベツの株は地面に寝ころび、風の中の大根の葉は海の中で揺らめくかいそうのようでした。

ところが、今日の朝畑に行ってみると、どうでしょう。倒れていたトウモロコシはシャキッと背筋を伸ばし、他のキャベツやオクラなども、何事もなかったようにケロッとした顔をしています。それどころか、その葉の色は瑞々しく、雨の水玉を葉の上でガラス玉の様に光らせるその姿は誇らしげでもあります。

本当に植物にとって、雨は恵みなのかもしれません。(現代に於いては、少しばかり微妙かもしれませんが)

 

本日は、繁り過ぎた草を少し刈り、ヌカを畝間に播き終了。雨に濡れた畑を眺めて仕事に行きました。

 

 

 

今日も朝からの雨で、少しばかりの草抜きで終了。

もっとも、基本的には野菜の高さを超えない限り抜くことの無い草ではありますが、草よりも成長が早すぎる物や、増えすぎて周りを飲み込む様な物は一部刈り取ったりしています。

ただし本来的に畑全面を草で覆いつくしたいと考えている私としては、今後は兎に角種をまく方向で畑全面を緑化し、深耕性の大豆や多様な草に覆われた畑を目指そうと考えています。まあ時間はかかりますが、ベストバランスの追求だと思って頑張りたいと思います。

 

中国菜の新芽を幾つか確認。早播きのタカナもキャベツの横で首を持ち上げ始めました。

 

 

 

7・7(土)7:10(豪雨、数十年に一度の被害)

 

信じ難い程の被害が広がる中、私の周りは比較的平穏で、今朝も畑の見回りに出かけられる程でした。尤も、雨が降り続いている事に変りは無く、このまま続けば色々な被害が出始めるに違いありません。特に今の時期でしたらブロッコリー農家さんは大変だと思います。

長雨は本当に問題です。

尤も、それを予想した上での明渠(畑の四方を囲む排水路)なのですが、今後は畝の高さそのものを上げる方向も一考しなければならないようです。

 

 

 

気象観測史上でも稀な熱波が続いております

見る畑、見る畑が、乾燥しきって、白く干上がっています。

連日35℃を超える日が続けば、当たり前の事です。

たとえ、成長しきった株でさえ、この日照りが続けば、枯れてしまうかもしれません。

ですが、我が雑草畑は雑草だけに枯れる事はありません。

そして、その雑草に僅かな場所を分け与えられた、野菜達も元気です。

少し元気のない奴もいますが、それでも、枯れる事はないようです。

もっとも、日差しにだけは気を付けていますので、野菜が陰るような場所だけは少しばかり刈ります。

でもやっぱり―

少しは雨が欲しいですよね。

 

 

朝、畑から海を臨むと、普段あまり目にする事のない島が、大きく海の上に寝そべり浮かんでいる。

水彩の青を薄め、一息で描いたかのようなその島陰は淡く、少しよそ見をすれば消えてしまいそうな程に現実感が無かった。

ふと足元を見る。

背筋を伸ばし始めた玉ねぎが幾本か見える。

庭で幾日も放置し、忘れていた苗だった。

二週間前、慌てて植え替えた時の苗は細く、正直根づくとは思っていなかった。

それが今、瑞々しい青を伸ばし始めている。

 

  

 

 

 

 

本年もやはり熱波が繰り返される夏になるようで、地域によっては観測史上初めての――と言われるような厳しい気象条件の場所もあるようです。

最もこれは他人事ではなく、近在の農家さんにとっても死活問題になりかねない異常事態かもしれません。

当然のことながら、我が雑草畑も近年の異常気象にくたびれ気味であることは間違いないのですが、それでも熱波などものともしない雑草に守られ、野菜たちは何とか生き延びています。

なにせ、水はやらない、餌は米糠とオカラのみという厳しい育成環境ですから、彼らも生き延びるために一生懸命なのでしょう。枯れる気配すら見せる事無く、元気にその芽を伸ばし、幹を広げています。

いや本当に私が出来ることは、この畑に限っていえば何もないと言っていいのかもしれません。

ですから、その畑の実りは僅かではあるのですが、私たちにとってとても有難いものなのです。

 

閑話休題1

 

これは我が家のお茶碗の一つで、とても古い物だそうです。

柄はご覧の通り藍色のカブをあしらった単純なものですが、息子はいたく気に入っており、自分で料理をし、ご飯を添えるときには必ずこの茶碗を使って膳を作り家族に振る舞ってくれます。

 

 

 

閑話休題2

 

細かいひびが井戸茶碗を思わせるこのお茶碗は、近隣の県でかつて作られていた焼き物で、今は作り手のいない消えてしまったお茶碗だそうです。

厚手の持味と、土壁をおもわせるその顔は台所にあっていかにも異質ですが、その手触りは格別で、私はその食べにくい形状にもかかわらず気に入って使っています。

 

閑話休題3

 

正直この様な形の畑となり正確に幾年経ったのかは覚えていません。勿論、農薬や化学肥料を使わなくなってからと云うのなら、多分18年くらいでしょうが、その間にも堪え性の無い私は幾度となく後で後悔するような事を繰り返していたのです。勿論それは、私の勉強不足や努力の至らなさが原因ですので(特になまけ癖が主な理由にも理由にも思えますが)致し方方無いのですが、それでも日々畑に向かう事だけは欠かす事はありません。そんな私の畑ですが、何故か今年は順調なのです。それは、例年であれば虫食いだらけになるキャベツが、あまり芋虫の被害に会うことなく成長しているのです。勿論「今のところ」ではあるのですが、正直嬉しく、日々の畑通いが楽しいものになっています。尤も春の脇芽や野草に助けられている我が家ですから、特にそう思うのかもしれません。ですが、野菜の自生畑を夢見る私としては、嬉しく思うなと言われても嬉しくなってしまうのです。

 

 

過ぎる閑話休題

 

因みに私の作る豆腐についてのご質問があったので、多少お時間をいただきご説明させていただきます。

 

まず材料ですが、水と苦汁と米糠と大豆だけとなります。ですが、水においても大山の地下水を使う場合と、水道水を使う場合がありますし、地下水に於いては竹炭を使い煮出し、水道水に於いては竹炭を浸し一日放置する事になります。又苦汁は瀬戸内産のみを使用し、米糠は、友人の農薬不使用米のそれを使用する場合と、地元大山の物を使用する場合の二通りあり、共通するのはどちらも煎って使うということです。そしてメインの大豆ですが2種類あり、一方は畑の育成を炭と枯草とオカラと排水路の整備のみとし、耕作機械を一切入れず、鍬と肩掛けの草刈り機のみで畑を管理したもので、農薬や化学肥料も使わず、又播種も一粒ずつ人の手で播き、収穫は剪定鋏を使い、分別は人の指で殻を剥き行います。当然恐ろしく手間がかかり、収量もそれに見合った物ですが、家族に食べさせたい気持ちもあり、このような方法を取っています。そしてもう一方は地元大山の個人農家で収穫された大豆を分けて頂き使う物です。

 

最後に豆腐作りですが、朝の来客を前提とする為、3箱作るのであれば、早朝の2時からの仕事となります。そして自家製大豆使用の場合、、前日の朝から漬け込んだ大豆を漬け水ごと磨り潰す仕事から始まります。そして同時に水を満たした鉄釜を薪で煮立て、煮立った湯は樽を温め、呉と苦汁が代わりに入るのを待ちます。

 

5月は種を播く日々ですが、庭先のスペースには限りがある為、苗の成長によっては足場もない程になってしまいます。尤も毎日窓越しに苗を見ることの気軽さもあって、苗場を畑に移そうとしないのは私の趣味のせいでしょうか。

苗は、自家製の腐葉土と炭、そして枯草と米糠のみを使い育成します。勿論、気温の低い三月頃から播種を始めますので、発泡スチロールを使ったミニハウスは欠かせません。

但し、腐葉土を取りに行く作業はなかなか大変で、それなりの時間を取る事もあり、暇を見つけてというのが正直なところです。それでも、朝起きて庭を覗いた際に見つける野菜の芽は、矢張り嬉しいものです。

 

令和3年5月27日 雨 緊急事態宣言6月20日まで延長

 

もう既に一週間は過ぎましたが、柚子の成木を11本頂きました。勿論、到底手で掘り起こせる様なものではなく、掘り出しにも植え込みにもユンボを使い、ほとんどの枝を切って軽トラックに2本ずつ載せ運びました。当然のようにその根は2メートルをゆうにこえる物もあり、正直根づくかどうか不安でしたが、幸運にもその日は雨で、その後も切れる事無く降った雨は見事に柚子の根を生かしてくれました。今では少しばかりの花を咲かせる木もあり、今後が楽しみとなりました。

 

令和3年5月29日(土)晴

 

今日は子供を山に連れて行ったそのついでに、黒文字の木を切ってきました。当然それはお茶にするわけですが、今回は蒸さずに作ろうと思い、丁寧に洗ったその後、直ぐにザルに上げ天日干しにしました。当たり前ではありますが、切り取った直後も黒文字の葉は指で揉めばあの独特の香りがするわけで、久しぶりに山で嗅ぐ黒文字の香りは正直新鮮で、矢張りいいものだなあと思いました。

 

令和3年5月30日(日)晴

 

日増しに庭の苗の成長が早くなるように感じるのは、温度が上がってきたせいでしょうか。

勿論我が家の苗の成長速度では、まだ畑に出せる物は少ないのですが、今日は成長の早いカボチャだけ畑に植え替えようと思い軽トラックに載せておきました。勿論、敷き藁用の草もいい具合に枯れ、敷頃になっています。

 

令和3年6月2日(水)晴

 

ヨモギを煎ってみれば分かりますが、煎る程にヨモギはふわふわとした綿の様な物になります。これは昔でいう[やいと] 所謂お灸の元で、これを使い昔の人は自身の痛みを和らげていた様です。

 

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